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春の囁き
午前中、ハナを連れて多摩川へ・・・
キラキラ光る川面が美しく、湿地には緑の草が伸び始めていました。
ハナちゃんをバスケットに帰る入れて途中、梅の花が満開。
近じかフラワーセラピーにアップします。
2,tama1
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[2008/02/28 21:14] | 風景・旅行 | トラックバック(0) | コメント(0)
プロジェリアの子ども
何年か前、仕事でプロジェリアの子どもに出会ったことを、テレビを見て思い出した。
サイエンスミステリーでは、何人かの特別な状況の子どもたちを年月を追って
報道している。プロジェリアの子どもは世界に約30人しかいない。それほど特異な
しょうがいであり、子どもの人権の仕事しなければ出会うことはなかっただろう。

事前ミーティングでは教師から、ただ「体の小さい子ども」とだけしか、情報を
もらえていなかった。ちなみに、プロジェリアがまだ一般的に知られていない
しょうがいだけに、詳しく説明する事も個人情報保護の意味から、教師は伝えるのを
ためらったのかもしれない。

教室に入って、子どもに出会い、(はっ)とした。
情報を持っていないだけに、どの程度体を動かす事が許されるのか、特別な
配慮が必要なのか、不安になった。その子は屈託なさそうに、隣の子に話しかけたり
している。いじめを扱うロールプレイを演じるのに、やはりそのこのことが
気になっていた。

案の定、復習タイムでその子が訪ねてきてくれた。
聞いたのは私ではなかったけれど、同級生からからかわれたり
いじめられているという内容だったと思う。もっと詳しく、もっと接近して
もっと気持ちを聞き出せばよかった。でも、こんな自分の至近距離の感情が
少しばかり度を越して、少しばかり感情過多ではなかったか・・・と後で考える。

プロジェリアの子どもは一般的に平均年齢13歳までしか生きられない。
その13年間の、密度の濃さをその子は、家族はどんな思いで過ごしているの
だろうと胸が熱くなった。もしも、私の生んだ子どもがその子だったら、私は
どんな思いで親として日々を重ねるのだろう・・・

チームを組んだスタッフの一人は「私はただ子どもの人権を伝えにきているのだから
感情を入れずに、人権を伝えるだけでいいと思う」と発言した。私の過剰な思いも
スタッフの考えも、どちらもしっくりこないのだ。何かが大切な要素、
考えが足りない気がしている―あれからずっと。

アシュリーは、中学生のころ親友だった女の子から電話がかかってきても
二度と会おうとしなかったという。老化が進んで、体の痛みに耐えられないとき
じっと立ち尽くすアシュリーは、自分の運命を受け入れ、混沌とした中の諦観を感じさせる
微笑を浮かべていた。(仕方ないのよ。これが私と私の家族に課せられた運命なのだから)と
でも言うように。たった16歳の女の子が、驚くべき速さで駆け抜けてゆく時間の早さを
私は知らない。自分がどんな頓馬な鈍感なことを口走るのか、と向き合ったら不安になるかもしれない。

人に言えない痛み。わかってもらえない悲しさ。テレビ画面に映らない彼女が耐えて来ただろう思いに、ひたすら頭を垂れたくなった。贅沢言うまい。明日もがんばろ!
[2008/02/25 21:53] | 平和・人権運動 | トラックバック(0) | コメント(0)
近況
アンジェに行っても、すっかり枯れて花も少ないので、最近はジムに通っています。
大抵太極拳か、ヨガのクラスに行き、時間がある時は筋トレをしますが、困るのはやたら食欲が出てきたこと。ぐうぐうお腹がすくので、これではダイエットは無理!

休日はハナコを連れて多摩川側の河川敷で鎖から離します。
もう、狂喜乱舞・・・です。こんなささやかな事でこんなに喜んでくれるとは、育て甲斐があるというもの。その単純な幸せをずっと忘れていました。

小学校には5月の末まで行かないので、創作絵本のラフを練りつつ
アフリカから一時帰国するスタッフを向かえ、ミーティングも近づいています。
ハナコの初めての生理に付き合いながら、早寝早起きのこの頃。
あなた、風邪なんかひいてない?
[2008/02/21 17:17] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
気に病む性格
パソコンを修理に出し、そのあいだ何回か(アッ、このショットをデジカメに撮りたい!)と思う瞬間を逃してしまった。例えば、仔犬を連れて行った多摩川の河原で逆光に映るシルエットや、雪を被った土手のようす、真っ白になった畑など・・・。私だけの目の奥の記憶のアルバムにしまう。

私は子どもの頃からあれこれ物事をクヨクヨ考え、寝る前に布団の中で自分を反省し、恥ずかしいとおもったり、悔しいと思う子どもだった。自分を「短気]な人間だと自覚していたが、最近短気というよりは感情が激しく深いのだと、正確に自分を把握できたことがあった。

心の内側では憤りの感情が激しく煮えたぎっていたり、孤独に震えていても、人前では表現できなかった。人が見たら冷淡ナ人間にも見えただろう。感情を表現する事は人格的に弱い証拠であり、人前で泣いたりわめいたりする行動がなんとなく下品というか、はしたないというか、大いなる誤解に基づいて自分を出さないという事をきっと子ども時代に決めてしまったのだろう。だから本格的にセラピーに入ると、いつもビックリするくらいの押さえ込まれた涙、抑えた悲しさが溢れて出てきた。

2年前、カウンセラーのYさんに(あなたはええかっこしい)だといわれた事がある。(苦笑)スマートさというのも私が大いなる誤解の元に身につけたもののひとつで(え?)・・・取り乱したり、騒いだり、ののしったりと言う人の姿を見るにつけ、自分はああはなりたくないとおもっちゃったんである。また自分のことで人を煩わせてはいけないと、厳しく自分をコントロールしようとするのだ。

「あなたは自分を責めすぎるのよ。あなたを今まで支えてくれた親しい人たちにそれは失礼になるわね」「え?」「だってそうじゃない。人は一人だけの力で生きてるんじゃないって、あなた自分で言ってるじゃない?疲れたときに止まり木的にちょっと休ませて話を聞いてくれた人。深刻な話しに付き合ってくれた人。具体的に行動して手伝ってくれた人。今のあなたは、そのすべての最善を尽した結果ここにいるんだから、自分を責めることはその人達の努力も責める事になるのよ・「なるほど・・・うん、そうねぇ」これはSさんとの会話。

気が満ちる元気な時もあれば、落ちて消耗する時もある。
気は自分で健康な方に、病まないように自分を引き締め、自分で言い聞かせ、励ますことで、人生は随分変化してゆくものなのだ。病まないようにしよう。たとえどんな時も。
[2008/02/08 10:47] | スピリチュアリズム | トラックバック(0) | コメント(0)
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