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飯島愛さんに思う
ふとつけたテレビ番組で、青森の神様といわれる
木村藤子さんが飯島さんを霊視していた。
芸能界を引退して後、そのことをはげしく後悔する・・・といった
内容で、今回鳥肌が立つ思いがする。

最近の性教育の講座で
私は街角で手渡される風俗嬢募集の冊子のことを
よく話しているが、飯島愛さんのような
家族関係で傷ついた若い女性は
公にならないだけのことで
実はたくさん存在すると思う。

心の奥深くに隠された虚無感
かといって、普通の家族に憧れても
今更、コンビニのアルバイトで一度知った贅沢な
生活を賄えるわけでもなく
テレビという何万人に自分の名前を知られ
眩しいライトを浴びていた以上
周囲からのやっかみや迷惑行為も
数多く経験してきた人なのだろう。

思春期の子どもの多くが
一度は芸能界に入りたいと憧れるようだ。
自分の存在に注目を集めたい欲求は
多くを語らないだけで、大人にも存在する。
延々と続く変化の少ない日常に倦み疲れて
多くの人は、名を成し大望を遂げる事を諦めてしまう。
多少の不調でも忍耐して続ける事しか出来ない
私たちは良い意味での諦観を知っている。

宗教でも、セミナーでも、学校でも何であれ
人と連続してつながる事の大切さを
今回の事に思う。
人の命はあっけないほど脆い。
神経が繊細な人ほど逃げ場を確保しなければ
熾烈な世界では生きてゆけない。
「助けて」とみっともないほど叫び
プライドを捨てる事も最終的には必要なのだ。そういう人が生き残ってゆける。

そして今健康だと思う自分をありがたく思いながら
助けて、と叫ぶ人の心根を無視しない人間でありたい。
いつも弱者の痛みに敏感であり続ける努力を続けなければなぁ。。。
と、今回のことに思うのだ。
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[2008/12/28 15:25] | スピリチュアリズム | トラックバック(0) | コメント(0)
伯母のこと
2009年のJASE1月のエッセーにおばの事を書いた。
いつかはちゃんと書こうと思っていたのでいい機会だった。

伯母はほんとうに幼い頃から天心爛漫な人で
ほんの三歳の頃に
近所の知的障害があるおじさん(わおじゃん)に
遠くから呼びかけたそうだ。

「わおじゃん、わおじゃん!」
傍にいた、わおじの家族がそれにこたえた。
「みっちゃん、わおじになんするとね?」
みっちゃんは大声で答えた。
「あそぼともち!」
(一緒に遊ぼうと思って)

このエピソードを母は、今でも笑いながら語る。
甲斐美智子という人は亡くなって
もう44年になるが、今でも愛されてやまない
大切な家族の一員だ。クリスマスの今日
大切な人を思い出すのもいい。
私はキリストに興味があって
どういう形でも一度あってみたいけれど
誰かのために祈ったり
力もなく、貧しく、困っている人のことを
考える一日であっても良いと思う。

娘にスピッツと、うただひかるのCDを
サンタさんがプレゼントしてくれた。
子ども時代最後のプレゼントかも。
[2008/12/25 12:53] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
フィギュア・スケートと大学院
すごいねぇぇぇ!
たった18年しか生きていない子たちが
あんなに高度な演技をする。
しかもものすごいプレッシャーのなかで・・・・・・

あの子達は
生まれながらに運動神経も良いと早期に
見抜かれていただろうし
きっと小さい頃から、青空や、怠惰に寝転んでいる
退屈な時間とは無縁に
練習に明け暮れてきたんだろうなぁ

それほどではないけれど・・・
私も良くデッサンに通った。毎日曜日
美術学校を受験するために。
小さい頃から、一人っ子のせいか
周りの仲間に入るのが臆されて
体も丈夫ではなくて良く熱を出したし
一人で地面に釘で絵をかいている子どもだった。

霊能者の人に「寂しい子ども時代だったのね」
「あなたの娘さんも寂しい思いで生きてきてる」といわれて
涙が出そうになったことがある。

孤独となかなか馴染みになれないけれど
孤独の中で一人で遊んだり、耐えた後の
実りは、嬉しい。

来年4月から、大学院に通う。
専攻は現代心理学科。
2年間で卒業できるかな?
女子大生100人に向けて意識調査をする予定。
錆ついた脳細胞をどこまで磨けるか?

[2008/12/13 21:53] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
マザー・テレサ
以前、私はマザー・テレサの伝記の挿絵を描いたことがあります。
こういう風にブログに、弱っている人、傷ついているへのメッセージを書いていても
自分が乗り越えてきた事が軽く伝わるのではないかと
ふと、考える事もあるんですよねぇ。
出来れば顔をあわせて、言葉を尽くして、丁寧に伝えたいのだけれど・・・

分裂には一致を。
傷ついた人へは愛を。
だったっけ・・・・・・弱っている人へ援助の手を差し伸べるためには
自分が不幸な人として溺れていては出来ない。自分は
たとえ傍らにいる人が不幸であっても、同じように不幸でいる事が援助ではない。
自分は幸福でも良いのだ。
援助者は人生の生きる意味と共に
いつも健康でいる欲求や、バランス感覚を持つことが大切だと思う。
お金が芳醇にあることが幸福ではない。人が活かされているということ。
自分が何かの役に立つと言う事。誰かが少しでも痛みを和らげ
安らかに眠りにつけると言う事。
自分が満たされる欲求ではなく
不幸な誰かが満たされている事が嬉しいのだ。
むごい出来事に出会い、衝撃を受けるたび
私は自分の弱さを試されていると感じます。
[2008/12/10 22:20] | セミナー | トラックバック(0) | コメント(0)
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