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訃報
CAPの活動仲間が亡くなった。
辻堂で6時からの通夜だったので
行く道すがら、なんとなく気が重い。奮い立たせてたどり着く。
うちのグループにも2年ほど在籍して一緒にカナダにも行ったので
ひと事でなく、次は自分かも・・・と思ってしまう。

そのKさんが「途切れない道」と言うテーマで
人権運動をひろめてゆく心意気を会報の原稿に綴っていた。

私たちは子どもの人権を広め
人権意識を高めてゆくための
ポイントごとの捨石かもしれない。
ひな壇で脚光を浴びる人はどこの世界にもいるし
陰で不正を働いていても
既得権を手放さない人は大勢いる。

名誉をほしがらず
ひたひたと暗い夜道を走り続ける仕事が
自分の後ろにも誰かがトーチを掲げ
自分の前にも誰かが待っていてトーチを受け継いでくれることを
信じて、走り続ける。
名もなき人々の情熱と努力によって成り立っている。
人権の名の下に、恥じない行動を日々続けたい。
いつか虐待と呼ばれる行為、偏見と呼ばれる価値観がなくなるその日まで
走り続けるのみ・・・・・・
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[2009/01/21 19:55] | スピリチュアリズム | トラックバック(0) | コメント(0)
短気なわたし
かつて「若草物語」の中に
4人の女の子をもつ母親が
自分の気短な欠点を夫の協力の下に
努力して穏やかに努めている・・と言う文節があった。

私も一見穏やかに見えるが
なかなかどうして短気者。
穏やかな人も見ると、ああなれば良いなぁ、と憧れてしまう。
ただ憧れているだけではもったいないので
何とか本当に穏やかに行動しようと思う。

いつだったか
「あなたはほんとうに泣きたくなったり怒りたくなったり
そういうテーマで仕事してるんだもの
あたりまえよ~」と言ってくれた友人がいて
そういうわかってくれる人が周囲に一人か二人いれば御の字なのだ。
明日はセンター試験。

怒らんとこう。
子どもの部屋にホコリがうずたかく積もっていても
食べっぱなしの皿が放置されていても
トイレが汚くなっていても
・・・・・・・・
のほほほ(-_-;)
[2009/01/16 14:50] | スピリチュアリズム | トラックバック(0) | コメント(0)
被害を受けた人へのひどい忠告
昨日の続き・・・です。
私が一番して欲しくない忠告は
「何故もっと早く親元から離れなかったの?」
と言う言葉だ。
、話しの途中で腰を折るように、そういわれた経験がある。
そんな迂闊な発言をするのは、案外子どもの人権に関わる人でもあって
心理臨床を学んだことのない人の中にいる。
出来事に単純に義憤は感じても
被害を受けた人をどうエンパワーするか本当の所わかっていないし
被害者心理を理解できていないと感じる。

「どうして」「なぜ」は
自分の経験がないことから来る苛立ちもあろうし
自分の生まれ育った環境はそれほど劣悪ではないと
妙な優越感を感じることもある。
よく「強者側の理論」と呼ばれるのは
自分の痛みにひきつけて、虐待を考えていないことに多い。

子どもは虐待環境から逃れる事は出来ない。
長じて成人したとしても、その当事者が自分から親元を離れ
自分に起きた出来事に結末をつけようと
自発的に行動した結果出なければ、どんな善意の忠告であれ
コントロールになってしまう。
だから虐待被害者の回復は恐ろしいほどの時間が必要なのだ。
誰も小ざかしく「ああすればいいのに」
「こうすれば良いのに」とはいえない。
言いたくなるのは、どこかに早くこの人の話しに結末をつけたい。
もう話を聞きたくない。
聞いて自分まで暗い気持ちに影響されたくないと恐れを抱いている事が多い。
そういう場合は、やんわりとその場から離れるなり
私にはわからないし、傷つけたくないから
コメントをはさめないという方がよほど誠実だと思う。

治療者ができるのは辛抱強く待つことと
たまにサジェスチョンとエンパワメント
それだけで充分なのだ。
被害者は力のない厄介な人達・・・
本音ではそう思っている人は、心からひとを援助する事は出来ない。
どんな人もひとつやふたつ心に傷を負いながら生きているものだ。
自分もまた未熟な人類の一人で、成長したいと願いながら
手探りで生きているに過ぎない。
それでもカウンセラーになろうと思うのなら
傷を受けた時の衝撃や絶望、哀しみを思い出し
まざまざと感じる努力が必要だと思うのだ。

親、と言う人達は、むごい事もしながら
エゴイスティックに子どもを操りながら
それでも懸命に良い子になってほしい
この子の存在がいとおしいと、思っていることもある。
家族の出来事、家族の関係ははたで見ている人間が
あれこれと詮索したり決め付けられるものではない。どんなにひどい親であれ
子どもの思慕は清らかなまま存在している。
虐待親のために顔色を見て、自分の人生をなし崩しにされることは
あってほしくないが、家族と言う複雑な歴史と事情の中では
被害を受けた人の生きのびる哲学こそがもっともっと
尊重されて良いはずなのだ。



[2009/01/12 23:20] | 平和・人権運動 | トラックバック(0) | コメント(0)
人格障害
私の母は、生まれ育った環境が苛酷で
人格障害と呼ばれる病を持っている。詳しく言うと
境界性人格障害、と言う。
心理学を学び始めようと思い
数多くのセミナーに出席し
カウンセリングを受けてきたのも
母とのトラウマを解決しようとしたのが発端だった。
健全な人格、というのがどんなものか
日本にそういう人達が何パーセントいるのか
データがないから分からないが
時々、これが実の母の言う事か
することかと、未だに感じることもある。
2,3回のカウンセリングでカンタンには治療できない病理なのだ。

母親に治療師として関わるのは不可能だ。
けれども治療的な試みをもって付き合わないと
家庭そのものが存続できなくなる。
人格障害の母に育てられた人間はまた自分もそうなりやすい
といわれる事から
治療法を模索してきた。
それが私の半生に及ぶテーマだった。
虐待を学ぶと、自分の家庭が特殊ではない事に気づかされた。

寝る場所を別にするところから
自分への手当てが始まった。
母へは他人の倍も優しく、気配りを心かけてきたが
もともと人間関係に気を使い、気を抜けない仕事なので
私にはだら~っとだらしなく
全ての事に気を抜ける私生活の時間が必要だった。
消耗した精神的なエネルギーをチャージしないと朝起きられない。
自分は怠け者だと、そんな自分を責めることも多かったが
気に病むのはもう辞めようと思う。
前向きに感情をコントロールして
とにかくあきらめずに歩む事
それが新年に思うことだ。
[2009/01/11 09:42] | スピリチュアリズム | トラックバック(0) | コメント(0)
犬の×チ
ショックな激白をするけど、実は
我が家の愛犬は食糞をする。
お腹がすきすぎたときに
自分のサークル内で、自分の×チを食べた事に味をしめたらしい。
朝早く出かけると、夕方まで帰らないときもあるので
可哀想な事だけど、飼い主の事情にもよるのだ。

珍しい事ではないみたいだけど
始めはショック!!で
犬の口の中をEM石鹸でぶくぶく洗った。
やっぱり気持ちのいいものではない.

~良い?はなちゃん、×チ食べちゃダメだよ~と
目を見てよくよく言い聞かせるけど
だめ!(*_*;全然わかってない。
夕方になると道の端っこも暗くなるので
おしっこかなぁと、待っていてあげると
ちゃっかりまた拾い食いする・・・・
あぁ~

シーズーは利口だという人がいるけど
なぁ?
赤ちゃんポくてとろくて
誰かさんにそっくりなのである・・・・むむむ
[2009/01/06 19:59] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0)
紅白歌合戦
あけましておめでとうございます(^_^)v
とても素晴らしかったのは
平原綾香のショパンのノクターン。先ごろ亡くなった
俳優さんが亡くなる直前まで聞いていたそうだ。
他に印象的だったのは
アンジェラ・アキの思春期の子どもへのメッセージソング
中学校の先生が聞いていたら
きっとクラスの子どもに歌わせたくなるだろうなぁ。
これは感動ものだった!

SPEEDの今井絵里子は歌いながら手話で語っていた。
それも平和運動なのだ。
彼女のお子さんが難聴だと知った。。。
そういうことなんだと思う。痛みを知る人は
痛んでいる人へ常に暖かなまなざしを向けている。
思いが理解できても、行動しなければもったいない。
行動してこそ、思いは繋がる。
[2009/01/02 09:16] | 平和・人権運動 | トラックバック(0) | コメント(0)
スピリチュアルなティータイム


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